無性愛に悩まない理由

無性愛

「無性愛」に悩まない理由と、認知度の低さの理由

無性愛者(アセクシュアル)とは、他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない人のことです。

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無性愛者とは?
無性愛者(アセクシュアル)とは?恋愛感情がない人もいる

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10代半ば頃から自分の「恋愛感情を抱かない」性質を自覚していました。

そしてそれはとても珍しいことで、同じような人に出会える可能性はおそらく無いだろうと思っていました。

実際、今でも会った事は無い

でもある時、さすがに世界のどこかには存在するんじゃないかと思い、インターネットで調べてみることにしました。

そこで初めて、「無性愛」という言葉を知りました。

自覚をした10代半ば頃から10年以上経った、2014年か2015年くらいの事だったと思います。

無性愛者の少なさに比例する認知度

日本では2002年に無性愛のコミュニティが立ち上げられ、2010年代に入ってから研究やメディアで無性愛を中心的に扱う事例が出始めたそうです。

それ以前はほとんど話題に出なかったらしい

ですが今でも、無性愛の認知度は、同性愛や両性愛といった性的少数者と比べて圧倒的に低いです。

当人以外はまず知らないし、当人も知らないかもしれません。

この認知度の低さの最たる理由は、もちろん無性愛の性質を持つ人が極端に少ないからです。

さらに他の人たちからは、いまいち無性愛を想像しづらいというのもあるかもしれません。

先ほど比べた同性愛や両性愛の方がよっぽど理解しやすいのだと思います。

本当に分かんないんだろうなってのが分かる

それ以外にもなにか理由があるか考えた時、ひとつ思い当たることがあります。

これは自分に限った話なんですが、実は無性愛者であることに悩んだことがありません。

もし他にもこういう人がいるなら、「無性愛」が周知されない一因かもしれません。

なぜ無性愛者であることに悩まないか

生涯恋愛することはないと確信してから、インターネットで「無性愛」を知るまで、10年以上の間が空きました。

学生時代はまだパソコンすら身近なものではなかったという理由もありますが、それ以降ネットが普及してからも調べてみようと思いつかなかったのは、この性質について深く悩むことがなかったからです。

例えば同性愛者なら、自覚した後に大なり小なり悩みを抱えるんじゃないかと想像します。

恋人はできるのか、どうしたら出会えるのか、家族や友人に打ち明けるのか…

様々な悩みにまた付随する悩みを、生きていく上で解決したいと望み、助言を求めたりリサーチをするのだと思います。

調べるのは知りたいからであり、知りたいのは大雑把に言えば悩んでいるからです。

他の人の意見や行動を参考にしたい
ひとりの足跡

自分は中学生の時、一生独り身の人生を送る予感に少々ビビりましたが、恋愛できないこと自体に落ち込みはしませんでした。

何故誰かを好きになれないんだろう、と内面を分析したことはあっても、苦悩したことはありません。

恋愛感情の持ち合わせがないので、どうしようと悩む余地がそもそもないのです。

恋愛しないので、恋人はいらない。

性的欲求も感じないので、恋人じゃない誰かもいらない。

ただの他人と一緒に暮らしたいわけもなく、当然結婚する気もない。

性質に直結した迷いようもない結論が出ており、悩む要素が存在しませんでした。

無いもんは無いんだから他にどうしようもない

生涯独り身の人生に対する心構えは必要でしたが、無性愛という性質自体に悩まされたことはありませんでした。

ごく個人的な話です。

でももし当時ネットやスマホが当たり前だったら、案外気軽に検索したのかもしれません。

調べてみようと思ったきっかけ

そんな自分が何故、自覚後10年以上も経った後ネットで調べてみたかというと、家族に「恋人を作る気も結婚する気もない」と言い続けていたある日、ふと同じような人は他にいないんだろうかと思ったのがきっかけです。

世の中にはそういう人間が存在するという事実を自分だけでも知れば、なんとなく自身の主張にも真実味が出てくる気がしたのです。

思いついた途端に好奇心も出てきた

実際にネットで検索をしたら、それは「無性愛」なんて名前で定義されていて、少数ながら自分以外にも確かに存在することを知りました。

そうだよね、やっぱ居るよね!?と実感し、うれしく思ったことを覚えています。

だからといって家族に無性愛という言葉を使って説明したことはないけれど、自身以外の根拠があるというのはどこか心強く感じられました。

それ!そのやつ!とスッキリした

自分のように、この性質自体に悩んではいない人が自ら調べるとしたら、他にも居るかな?と考えた時じゃないかと思います。

そして、こういう性質を持つ人のことを無性愛者というんだなと、納得して、満足して、終わりです。

勝手に推測する、認知度の低さの理由

昨今ではLGBTという言葉もよく耳にしますし、性的少数者全体の認知度が上がっています。

当人たちが苦悩せず、生きやすい世の中にする為には、世間に理解してもらわなければ始まりません。

日本でも、マイノリティを差別せず、理解しよう、理解してもらおうと、様々な人が行動を起こしています。

今の子供たちの感覚って昔とどれだけ違うんだろう
一人掛けの椅子

これは、極めて、勝手な、個人的意見だと前置きしておきますが、…無性愛者はそこまで積極的な行動をしていないんじゃないかと思っています。

勝手に思っているだけだよ!

正直、世間に知られようが知られまいが、生涯独り身という時点で多少なりとも生きづらいし、でも他の選択肢はないのだから仕方ない。

例えば同性愛だと、同性愛者として生きていく上で、社会的な悩みや困難が生じます。

法的な婚姻、世間の目、自分たちの子供…そういう類のことは、世の中が変わらなければ解決しません。

そしてその為には行動しなければいけません。

対して無性愛者である自分は、世の中に変わってほしいと願う、悩みや困難が特にありません。

誰とも付き合いません、結婚しません、で、以上です。

広く理解されたところで、家族や友人への説明が楽になるくらいしか恩恵が思い付きません。

「無性愛者なんだ」「へー」的な

もし自分の他にもこういう考えの人が、ただでさえ少ない無性愛者の中にいたら、認知度はなかなか上がらないんじゃないかと勝手に推測しています。

ブログを始めたきっかけ

自己完結している風な自分がこのブログを始めたのは、「無性愛」を初めて知った時のうれしかった気持ちを、他の誰かにもあげられたらいいなぁと思ったからです。

共感できる人がいるというのは、やっぱり幸福なことだと思います。

そして記事を書くにあたって詳しく調べていると、無性愛者でも結婚を望む人がいることや、抱えている悩みを初めて知りました。

あれ?悩んでないのって自分だけ…?

自身の経験や考えだけではなく、人それぞれの「無性愛」について話していけたらと考えています。

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