NHKドラマ「恋せぬふたり」の感想を、無性愛者(アロマンティック・アセクシュアル)の人間が書いていきます。
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「恋せぬふたり」 最終話 感想
とうとう全8話のドラマ「恋せぬふたり」の最終回です。
前回、遥から紹介された、地方で野菜を育てる仕事を断った高橋。
咲子は絶対に高橋の望む仕事だと思うけれど、大切な祖母の家を守るため自宅近くで働くことを第一に考えている高橋を説得することができません。
高橋さんのおばあさんに対する思いには、母親に捨てられた自分を育ててくれた感謝と、愛と、結婚し子供を見せることができなかった申し訳なさが入り混じっています。
おばあさんと一緒に暮らした家を大切にすることは、おばあさんを大切に思う自分の気持ちの証明になります。生前おばあさんの望みを叶えてあげられなかった高橋さんが、今となっては唯一できることだと感じているのだと思います。
死んでしまった人はもう何かを思うことなんてないのに、どうしてもあの世で楽しく暮らしているのだと思いたいし、願ってしまいます。好きだったものをお供えすればきっと喜んでくれるし、供養を疎かにすればきっと悲しませてしまう。
家族を亡くすと、どうしたってそういう風に思ってしまいます。高橋さんの気持ちも理解できるし、一方で、遥さんが言った「おばあさんが亡くなった今、もっと自由に生きてほしい」という言葉もよく分かります。
どっちも分かる
咲子は入院している妹みのりの見舞いに行き、高橋さんが子供を欲しがっていないこと、それを聞いて自分もほっとしたことを伝えます。前回まで名言されていなかった咲子の気持ちがはっきりしました。
個人的に、アロマンティック・アセクシュアルで子供を持ちたいと思う人は少数じゃないかと思っているのですが、実際はどうなんでしょう。自分以外に会った事がないので完全に勝手な想像ですが。
どれくらいいるのかな
やっぱり自分の子供というのは恋愛(ロマンティック)と性(セクシュアル)の先にあるものという感覚で、それが存在しない自分としては子供を欲しいという感情が湧きません。困難だから諦めているわけではなく、欲しいと思ったことが一度もありません。
妹の子を可愛がっていた咲子が自分の子は望んでいないと言った時、やっぱりそうだよなぁと感じました。
そして、みのりの気遣いで、咲子はわだかまりが生じていた母親と話をすることになります。
以前反射的に咲子の性質を否定していた母は、まだ自分には理解できないけれど、恋愛しない道を選んでもいい、その代わり幸せになってほしいと咲子に伝えます。
幸せとは家庭を築くことだと信じていたけれど、娘にとってそれは幸せではないのだと分かってくれました。
結局我が子に何を望んでいるかといえば、家庭を作ることではなく、幸せに暮らすことですからね。
わだかまりが解消できて良かった
そして咲子はもう一度、高橋と話をします。
今がベストですかと聞く咲子に、今の暮らしが気に入っていると高橋は言います。
祖母の家を空けたくないという思いの他に、咲子と家族(仮)でなくなってしまうのが怖い、ひとりには戻りたくないと伝えます。
実際、自分と同じ性質を持つ人と、お互いを理解し合い、恋愛抜きで家族になるというのは奇跡みたいなことです。
とても得がたいこと
家族(仮)じゃなくなったら咲子はどうするのか、実家に戻るのかと聞くと、咲子はえ?という感じで私はここに住みますよと言います。ごく自然な思考の流れだったように。
そんな発想が全くなかった高橋は面食らい、高橋のその様子に咲子は若干動揺します。
「え?」「え?」のやつ
別々に住むことになっても家族(仮)は終わらない。高橋さんは大切なこの家を失わないし、好きな仕事もできる、両方取りですと咲子は言います。
高橋は思ってもみなかった提案に動揺し涙目になりながら、咲子に無理をしていないかと聞きますが、咲子は自分もこの家が大好きだから、ここに住みたいのだと伝えます。
そして、この先のことは決めなくていいし、言葉にすると縛られるから、全部かっこ仮でいきましょうと笑って高橋に言います。気持ちが変われば話し合えばいいし、極端に言ってしまえば、無理に家族でいる必要もないのだと。
いい言葉だった
個人的に願っていた通り、家族(仮)ならではの選択で良かったなぁと思いました。
夫婦ではないから一緒に行くことも別れることもなく、それぞれが望むベストを、ふたりで支え合って実現する形でした。
そしてなにより、家族(仮)のままでいたいというふたりの共通の望みも叶えられたことが本当に良かったです。
正直、前回視聴後からなんとなく結末は予想していましたが、ただ、咲子はいろいろ考えた末にひとりで今の家に住むことを提案するのだと思っていました。まさか考えるまでもなく当たり前のようにそう思っているとは予想外でした。
それだから前回高橋さんに、家を守るとは具体的にどういうことかと聞いていたんですね。私がひとりで住むことになるけど、それは家を手放さないということにはならないかと思っていたんでしょうね。
気付かなかった
全部を(仮)でいこうというのもいい言葉でした。決められた言葉に当てはめるとそれに縛られてしまう。そもそも恋愛・結婚という大多数から見た当たり前のことから外れているふたりです。だからこそ尚更、縛られる必要なんてない。
「仮ではなく本当の家族のようになりました」という最後より、ずっとアロマンティック・アセクシュアルならではという結論で良かったと思います。
あの台詞は予想してなかった
エピローグのまず最初に、かず君が高橋さんとメッセージのやり取りをしている場面が流れたのは笑いました。確かにどう見ても咲子よりかず君の方がマメでしょうね。
そして、第1話で恋愛しない人間なんていないと言い、咲子とかず君の仲を冷やかしていた咲子の上司も、少し考えが変わった様子が描かれていました。
今の時代はまさに、ハラスメントやジェンダーレスや多様性に対する考え方の過渡期だと思います。真っ最中です。
それゆえ、どうしても押し付けられているように感じたり、同じ考えを持つ者同士ですらぶつかり合ってしまう場合もあります。
でも価値観や倫理観やマナーは時代によって変わっていくものであり、その流れはまず他者を知り、他者に知ってもらうことから始まると思っています。
NHKドラマ「恋せぬふたり」によって、誰にも恋愛感情を抱かない性質や性的関心を持たない性質が存在すると知った人、もしくは存在するかもしれないと半信半疑の人が、今までよりは確実に増えたはずです。
そうやって少しずつ広まって、例えば自分が恋愛できないことを異常だとして認められなかったり、親が子を否定し無意味に傷付けてしまうことくらいは、せめて無くなってほしいなと心から思います。
アロマンティック・アセクシュアルを題材にしたドラマが制作されたことを、とてもうれしく思います。しかも演技の上手な役者さん揃いで、いい結末まで見ることができて本当に良かったです。ありがとうございました!